昨今の品質不祥事問題を読み解く 第19回 品質不祥事はなぜ起きるのか?(2) (2018-9-24)
2018.09.25
前回(品質不祥事はなぜ起きるのか?(1))で日本企業の経営は、この20,30年の間に欧米型、利益偏重型に変わってきたことを述べました。
そして経営者の世代交代により「組織的変化」が起こっていることを述べました。
今回のような不祥事が起きる要因は、その主要なものとして経営者の考え方が上げられます。
経営者の考え方、あるいは企業そのものの考え方、風土によって不祥事は起きたり、起きなかったりすると思います。
≪罠に嵌まる経営者≫
人の考え方に大きく影響を与えているものは、その人が育った環境です。
2000年以降の日本企業の経営者世代は、日本社会が成熟化し始まった時代に育ちました。
この世代は、戦後の貧しさから開放され、ハングリー精神が無くなった世代です。
終身雇用制の崩壊、均質社会から格差社会への移行、少子化など多くの変化を経て、高度成長期にきわめて有効だった集団の経営は、個の経営へと移行し始めました。
護送船団方式と揶揄された日本企業の経営は、欧米流の個による経営へと変化していきました。
組織ごとにこの移行速度は異なりますが、日本企業の全体がそのような傾向になってきていることは否めません。
社長一人の資質で組織全体の成果が決まる時代になってきているのです。
集団経営の時代から、個の経営の時代になると、自然と権力が社長に集中します。
成長期にある企業は、新技術の開発、新顧客の確保、海外への進出など、行わなければならないことが山ほどありますが、成熟期を迎えた企業ですと、同業他社との生き残りをかけた厳しい競争を勝ち抜くために、主力製品に磨きをかけること、コストダウンをすることが主要な戦略になります。
もちろんこのような局面での対応の仕方は、経営者の資質によっていろいろと変わったものになるでしょう。
利益の計上を求められた経営者は、ともすると利益率や効率を上げるために主要業務以外のことは切り捨てる経費削減戦略に入ります。
使えるものは何年でも使う、PM(Preventive Maintenance:予防保全)などもってのほか、製品品質も顧客スペックに入っていれば社内スペックなど関係ない、といったコストミニマムな経営を指示します。
その経過においては、教育予算はカット、品質管理などは無用、人員削減も辞さないといった近視眼経営になります。
もちろん、経営者によっては、経費削減は一方の柱、もう一方では次期商品の開発に余念がない企業も存在します。
多くの上場企業に資産が無いわけではありません。
潤沢な資産があるわけですから、その資産を有効に活用して近未来の新しい企業像を打ち立てる経営者もいます。
しかし、凡庸な経営者は資産を有効に活用しません。
貸借対象表B/Sは歴代の社長の経営実績であって、自分の評価には結びつかないと信じています。
損益計算書P/Lこそが自分の成績を表す数字であり、短期の利益計上が自身の評価の決め手であると信じて疑いません。
ここに欧米流の経営の罠があります。
経費削減一方だけの経営の下ですと、業務を単純マニュアル化し、効率を上げることを推進していくので、「考えない人」を大量につくってしまいます。
マニュアル化した人々の組織では、指示されたどおりのことを行う、なぜ行うのかなど業務目的を考える人は皆無になっていくのです。
外注化、アウトソースもコスト削減には有効な手段ですので、人件費の安い外部に作業を移行させます。
ここにも罠があります。
人件費ばかりに目がいき、品質管理には無頓着になり、製造は決められた工数の中で行うことが優先され、品質の確保は無視されます。
賢い経営者は、グローバル的変化、組織的変化を敏感に捉えて、変化の局面ごとに多層型の経営を行います。
例えば、3,5年先を目標にしたプロジェクトを立ち上げ、新要素技術の開発、魅力的な製品開発、自工程完結のプロセス管理などに奔走します。
このような経営者のもとでは、品質データを改ざんするなどといった発想は皆無であり、仮にそのようなことが社内で露見したときには厳しく叱責するでしょう。
標準化を推進するために業務分析を徹底して行い、最新化された標準にもとづくOJTを含む教育訓練を行い、組織全体のマネジメントシステムを徹底して見直しして、効率的で、有効な日常管理の徹底を指示することでしょう。
品質管理の世界では「品質を工程で作り込め」とよく言われますが,出来上がったものを検査することは愚の骨頂であり、標準化したプロセスに沿って業務を推進することが製造の本質であるとしてコスト削減を達成していくでしょう。
多くの人が働く企業においては,プロセスを定めたつもりでも,重要な部分が曖昧であったり,定められたとおりに業務が推進されないことは多くあります。
このような問題に対応するためには、あらゆる部門で、プロセスごとの管理特性を決め、管理水準の設定からはみ出したものは異常として検出し、異常に対して手を打つという日常管理を徹底します。
このような地道で愚直な活動が企業の品質を守る王道であるということを、あらゆる階層、部門に徹底するでしょう。
凡庸な経営者は、創業の精神・理念を忘れています。
創業以降の経営者は、それぞれの時代に適したビジョンを明確にし、従業員に企業の進む方向を示します。
それはそれでいいのですが、永続的であるべき創業の精神・理念をいつの間にか可変的なビジョンに置き換えてしまっています。
ビジョンは変わっても創業の精神・理念は変わらないものです、或いは「変えてはいけない」ものです。
アメリカには、創業の精神・理念が企業の危機を救った有名な教訓があります。
ジョンソン・アンド・ジョンソン社にとっての危機は、1982年の秋に訪れました。
全米を震撼させた「タイレノール」事件がそれです。
J&J社の製品である超強力鎮痛剤タイレノールを服用したシカゴ在住の七人が青酸カリ中毒死するという事件が起き、優良企業としての名声と高業績企業としての実績を一挙に失う危機に立ちました。
間もなく、青酸カリは薬局に搬入されたあと誰かによってカプセルに入れられたこと、シカゴ地区に限定されていることが判明し、同社は1億ドルの巨費を投じてタイレノールをすべて回収し、数週間後には、第三者には絶対入れられない新型の包装を発売しました。
ニュースは全米に流れていたので、一般消費者の拒否反応は強烈でしたが、専門家の予測を覆してタイレノールのシェアは従来の90%まで戻り、業績も回復することになりました。
当時のD.クリア社長は、この災難を切り抜けられたのは、危機管理のおかげというよりは、「我が信条」に具体的に示されている創業の精神・理念のおかげだと述べています。
「我が信条」に鼓舞されて早期に次つぎと適切な決定を下し、結果として市場に返り咲くことができたというわけです。
J&J社の「我が信条」とは次のようなものです。
「我々の第一の責任は、我々の製品およびサービスを使用してくれる医師、看護婦、患者、そして母親、父親をはじめとする、すべての顧客に対するものであると確信する。顧客一人一人のニーズに応えるにあたり、我々の行うすべての活動は質的に高い水準でなければならない。」
この例は、「組織目的の達成は、効率より常に優先して考えられるべき」という創業の精神・理念の存在の重要性を示していますし、100年経っても創業心を堅持したJ&J社の風土/文化には学ぶものがあると思います。
次回に続けます。
(平林 良人)