昨今の品質不祥事問題を読み解く 第18回 品質不祥事はなぜ起きるのか?(1) (2018-9-17)
2018.09.18
昨年から報道されている企業の品質不祥事には驚かされると同時に、またかという思いに駆られるのは私だけではないと思います。
確か2000年頃に品質に関わる同様な不祥事がマスコミで多く報道されました。
当時、TQMを学んだ身としては、日本の製造業でこのようなことが起きることが不思議でなりませんでした。
それから20年、また同様なことが起きています。
これはもはや報道されている企業のみの問題ではなく、日本社会全体の問題と深刻に捉えなければならないのではないか、と考えてしまいます。
戦後の日本の製造業の歩みと実績に思いを寄せると、今日の不祥事問題は多くの要因が輻輳して起きていると思わざるを得なく、「不祥事分析及び再発防止プロジェクト」なるものを立ち上げて徹底的に取り組む必要があると思います。
しかし、社会に不祥事がこれだけ報道されても、そのような機運は一部を除いては起こっておらず、この反応の悪さ、もしかすると大きな問題ではないという意識が社会の底流にあるような気もして、問題の根の深さを感じるとともにますます気が滅入ってしまいます。
ボヤキはこのくらいにして、ここでは次の4つについて述べていきたいと思います。
・品質不祥事の背景 -グローバル経営の罠
・罠に嵌まる経営者
・経営の本質と品質管理
・経営者が今後考えるべきこと-変化への対応
≪品質不祥事の背景 -グローバル経営の罠≫
不祥事を起こした企業のトップの弁を聞きますと、弁解には共通性があることに気付きます。20年前も今回も、次のような弁解が聞かれました。
・いつの間にか企業風土が劣化していた。
・いつの間にか利益偏重企業になっていた。
というものです。
この「いつの間にか」という言葉に不祥事を起こすカギが潜んでいると思います。
「いつの間にか」がどのくらいの時間を指すのか定かではありませんが、例えば、この20年間には多くの事柄が変わってきていると思います。
いつの間にか人が変わっている、いつの間にか考えが変わっている、いつの間にか技術が変わっている、いつの間にかデザイン嗜好が変わっている、いつの間にかルールが変わっている、いつの間にか法律が変わっている、いつの間にか競争相手が変わっている、いつの間にか社会が変わっている、いつの間にか国際情勢が変わっている、など上げれば切りがありません。
この20年の世の中すべての変化を説明しなさい、と問われて答えられる人はいなと思います。
そう考えれば、「いつの間にか企業風土が劣化していた」と「いつの間にか利益偏重企業になっていた」は、数ある「いつの間にか」の代表例を2つ上げて釈明しているに過ぎません。
この2つの変化の中には、より小さな多くの変化があるはずです。
それらの小さな変化を観察すると「社会的変化」と企業に固有な「組織的変化」に分かれると思います。
社会的変化には国際的変化も含まれますので、その意味で社会的変化は「グローバル的変化」と言い換えるべきでしょう。
現代においては、すべての事柄は国内、国外と区別することができないほど地球規模で相互に影響しており、「いつの間にか」国際標準で経営しなければならない社会になってしまっています。
この国際標準にもとづく経営には危険が潜んでいます。
危険だからといって避けるわけにはいきませんので、何が危険か、どうして危険か、を見定めなければなりません。
国際的な経営とは、端的に言うと、短期に利益を上げて株主に多くの配当をリターンする、というものだと思います。
20年前は1年に一回の有価証券報告書でよかったものが、昨今では4半期に1回決算短信を出さなければならなくなっています。
これはアメリカの企業情報開示の一環として始まった制度ですが、経営者は3か月ごとに売上、利益の公表を強いられ、経営者の手腕の優劣は短期の利益の多寡で決まる風潮が強まっています。
上場企業にはそれぞれ機関投資家、証券会社などのアナリストが専任として付き、有名企業の短信発表には100名を超えるような人々が押し掛けるという、20年まえには考えられなかった光景が繰り広げられています。
短期の利益よりも中長期の利益を考えて先行投資をするという、日本流の経営手法は「いつの間にか」消え去っています。
心ある経営者は最近のこのような欧米化された経営手法を批判していますが、こうした批判精神のある経営者は少数派で、多くは欧米流の経営にのめり込まざるを得なくなっています。
なぜかというと、自社の株式評価、すなわち株価が上がることを期待している株主に、経営者は応えなければならないからです。
地球が狭くなり、為替を初め株式などが国際的に取引されるような時代に、かっての日本流の経営は通用しない、日本流を持ち出すなんて時代錯誤も甚だしい、ということでしょうか。
賢い経営者であれば、利益さえ上げれば何をしても許されるという罠がそこには潜んでいることを見抜きますが、凡庸な経営者だと罠に嵌まってしまうのでしょう。
それにしても、世の中は大きく変わり、一時のように長持ちする製品が褒め称えられる時代から、製品は使い捨てが当たり前、5年も経てば壊れて当たり前の大量使い捨ての時代に「いつの間にか」なってしまいました。
もしかすると品質が良いという概念が変わってしまったのかもしれません。
今の世の中、製品というモノで満ち溢れ、かってのようなモノを所有することの価値観が失われてきているのかもしれません。
でも、本当にそうでしょうか?
これこそがアメリカの文化であり、いつの間にかその文化に染め上げられてしまった日本を危険と感じる感受性が無くなっているのではないでしょうか。
日本には自然資源が無い、在るのは人という資源のみであり、その人が創意工夫して量より質で勝負しなければ日本の将来は無い、と教育されてきた世代から見ると、現代は明らかに危険であり、罠に嵌まっているように感じます。
100年、200年のレベルで考えると、100億人と推定される(国連推定)2050年以降の世界人口の時代は、明らかに食糧をはじめとする資源は枯渇し、使い捨ての時代どころか、捨てたものを拾い上げる時代になることは必至です。
大量消費などとうそぶいていられるのはここ10数年ではないでしょうか。
その視点から見ると、経営者が自分の成績を上げることに汲々として起こしたと思われる昨今の品質不祥事こそが、全くの時代錯誤であると言わざるを得ません。
世界経済の中でビジネス展開をしている時代、どの日本企業も「グローバル的変化」を敏感に感じ取り、それに対する企業自身の変化に日々取り組んでいることと思います。
当然のこととして、「グローバル的変化」に連動して「組織的変化」もいつの間にか起きています。
組織的変化は組織に固有なものですから、一般的な事例を取り上げ、論評することは適切でないと思いますが、「組織的変化」において組織に大きく影響を与えるものは、何と言っても人、それも経営者の変化だと思います。
経営者が変わると、当然のことですが、考えることが変わります。
同じ企業において株主、取締役会から選ばれた人が次の経営者になるわけですから、大きく考え方が変わることはないと思いがちですが、考え方及び価値観は属人的なものです。
人の考え方は表面的には同じように見えても、実際は異なるものがあると思う方が妥当だと思います。
・品質不祥事の背景 -グローバル経営の罠
についてはここまでとさせていただき、
以下の3点について、次回以降で述べていきます。
・罠に嵌まる経営者
・経営の本質と品質管理
・経営者が今後考えるべきこと-変化への対応
(平林 良人)