昨今の品質不祥事問題を読み解く 第15回 日本品質管理学会はどう考えているのか?(2) (2018-8-20)
2018.08.20
今回は,棟近の個人としての見解を述べたいと思います.
1.まず自分で考えよう
前回,緊急シンポジウム「”品質立国日本”を揺るぎなくするために~品質不祥事の再発防止を討論する~」を開催したことを述べました.
当日は,定員を超える230名以上の方が参加されました.
大変興味を持っていただいていることはいいことだとは思ったのですが,聴衆はどういうことを期待して参加されたのだろうか,ということにふと疑問がわきました.
当然,シンポジウムの中では,今後の対策について議論されるであろうことは予測がつきますが,もしその対策を期待しておられるのなら,それは少し違うと思いました.
一般的な対策は議論されると思いますが,このような不祥事が発生するというのは,それぞれに複雑な事情があるはずで,まずは自社でこのようなことが起きはしないか,起きないようにするにはどうすべきかを,自身でじっくり考えるべきだと思いました.
他人の考えた対策で防止できるような,甘い問題ではないと思うのです.
お恥ずかしい話ですが,早稲田大学でも,ご存知のようにデータのねつ造,偽造という不正が数年前に行われ,世間をお騒がせしました.
その後本学としては,論文に対する厳しいチェックを行うようになり,現状は効果を発揮しています.
しかし,本学以外にも,不正論文の問題は後を絶たず,研究倫理が危うくなっていると心配されます.
なぜ,このような不正が行われるのか,私自身もしっかり考えてみないといけない,と強く思いました.
組織の1人1人が,なぜこういうことが起こるのか,ということを真剣に考えることが,防止への第一歩だと思うのです.
2.ある程度の見張りが必要です
論文の不正は,できの悪い人がやっているのではなく,優秀な若手研究者がやることが少なくありません.
大学でのこのような不正は,人事制度,昇格制度と大きく関係しています.
若い研究者は,博士号をとってもいわゆるテニアといわれる任期のない教員,研究員にはすぐにはなれず,任期付きで採用され,その後業績を上げることで,ようやくテニア職に就くことができます.
よりよい業績があれば,よりよい就職先に就けるわけで,そのプレッシャーは,半端でないものがあるでしょう.
この構造自体を変えていく必要があるのですが,その議論は本稿の主旨から外れると思いますので,やめておきます.
相当なプレッシャーがかかることは間違いないでしょうから,人間はどうしても弱いところがあるので,ある種の監視の仕組みは不可欠でしょう.
それは企業における不祥事でも,同様だと思います.
監視といっても,24時間見張っておくというのは無理ですし,やるべきことではありません.
少し外の目,少し複数の目が入る工夫が必要です.
例えば,内部監査はいい例でしょう.
強力ではないかもしれませんが,他人にチェックされるという意識は働きます.
今,大学で行われている論文の剽窃チェック(他人の文書やデータを盗用していないかのチェック)も,世の中のすべての文章を調べるものではないので完璧にチェックできるものではありませんが,これも「チェックされている」ということを示すだけで,ある程度の効果はあります.
繰り返しますが,人間は弱いところがあるので,性悪説に立ったこのような仕組みを,補助的な防止手段として入れておくことが必要でしょう.
3.他流試合をしよう
まずは,自分で考えてみることが大切ですが,自分だけではなかなか見えないものもあります.
他社のやり方をみて,自分たちのレベルを知ることも重要です.
QC検定を受験する,品質管理大会,クォリティフォーラム,QCサークル大会などで事例を発表する,他社の事例を学ぶ,監査や診断を受けるなどは,自分たちのレベルを知るよい機会です.
この中でも,自分たちの事例を外部で発表して叩いてもらう,いわゆる他流試合の機会が,昨今はきわめて減っています.
これには,いろいろな理由が考えられますが,知財の制約を受けている影響が大きいと思われます.
JSQCの声明で取り上げた品質不祥事ではありませんが,重大な品質不具合を出した複数の企業に対して,品質マネジメントに対する助言を行うために,私はその実態について話を聞く機会がありました.
企業の診断や審査は,これまでも経験していることですが,問題を起こした企業の品質マネジメントを見るというのは,あまりありませんでした.
そこで気づいたのは,「他流試合が減ったことと一連の不祥事は,無関係ではないのではないか」ということです.
他社のやり方を知る機会が減ったために,井の中の蛙,最近はやりの言葉でいえばゆでガエル状態になり,自分たちの仕事のやり方の悪さに気づかなくなっていると思われてなりませんでした.
データ改ざんは,悪意を持って悪いと知りながらやっていたという論調でマスコミは捉えています.
しかし,これまで長年の間続いてきたということは,悪いことという意識はどこかにいってしまい,我が社のやり慣れた仕事のやり方になっていたのではないか,つまり悪い仕事のやり方と思ってなかったのではないか,と私には思えてなりません.
さらに,不正でない場合には,悪いことをやっているという感覚はまったく起きないので,品質には悪影響を及ぼすやり方になっているといことは,他人の目で見ない限りは,問題には気づかないことになります.
最近ある企業で聞いた話ですが,ある試験に合格するまでその製品を量産できないので,工程の条件を変えて製品を作り,合格するまで何回も試験を行うとのことでした.
しかも,合格したときの工程の条件は,コストや安全性に問題のある条件なので,実際の量産では変更前の条件に戻して量産を行った,というのです.
まるで笑い話のようですが,おそらくそういう仕事の仕方をずっとしてきたから,悪いことに気づかない,という典型なのだと思います.
他流試合をしない限りは,このような問題点に気づくことは難しいでしょう.
4.何よりも教育,そしてトップのリーダーシップです
2.で述べた「見張り」はあくまでも補助的な手段であり,不正を起こさない人づくり,組織づくりが,本質的な解決策だと思います.
不正を起こさない人づくりでは,教育以外にないと思います.
技術者倫理,研究者倫理,企業人倫理を繰り返し説いていくことが重要だと思います.
というか,他に王道はないと思います.
この教育をしつこく,繰返し行っていけるかどうかが,ある種の組織の強さだと思います.
そして,不正を起こさない組織づくりで何よりも大切なのは,トップのリーダーシップです.
トップが不正をやらないという姿勢を見せること,そして自らそのような行動をとることです.
トップが自ら率先垂範してやれば,”文化”として根付いていくと思っています.
私は,時々企業を訪問し,診断のために工場を見せてもらうことがあります.
中にはVIP待遇で迎えてくれて,社長自らが案内をしてくれるということもあります.
VIP待遇ですから,中には普段やっていないようなことまで演出する企業もあります.
診断を目的としているのですから,このような演出は意味がありません.
ある工場を見学したときのことですが,社長自らが先導して私を案内してくれたことがありました.
工場では,通路を横切るときに,安全を確認するために指差確認を行うのが一般的です.
私にはその習慣がないので,通路を横切る際にも社長に話しかけていたりするのですが,その社長は,私を制止してまでも,着実に指差確認を行っていました.
安全確認が最優先なので,それが正しい姿なのですが,ここまで徹底しているところは珍しかったので,印象的でした.
その後,その企業の工場を何回か見に行きましたが,いつ行っても,誰でも,皆指差確認を確実に行うのです.
完全に染みついていると思いました.
私の経験では,指差確認にかかわらず,社長がやればやりますし,社長がやらなければやらないのです.
不正防止のための仕組みをどうするか,内部告発や通報制度を設けるか,といったことも重要ではありますが,その前に,社長自らが態度で示すこと,それが不正防止の基本中の基本だと思います.
(棟近 雅彦)