未だに頻発する品質不祥事を防止するために何が必要か? 第1回 『未だに頻発する品質不祥事に対して思うこと』 (2021-07-26)
2021.07.26
■事故・不祥事を起こす組織
不祥事,コンプライアンス違反の深因として,やはり「組織風土」のことを考えずにはいられません.私が,組織風土,組織文化,価値観に関心を持つようになるのは,2000年のころのことです.それは2つのことからでした.
一つは,JCO臨界事故,山陽新幹線トンネルコンクリート落下事故,医療事故のさなかに日系紙の英文版の記者の取材を受けたことです.「品質大国日本」「品質立国日本」はどこへ行ったのか,その見解を聞かせてほしいという依頼でした.「経済・社会・産業の構造変化について行けなかった日本」というのが一つの見方ですが,そうした環境変化のもとで,不祥事にまでつながりかねない体質的な変化が日本の組織に起きているのかもしれず,それはどのような側面であるのか,私も関心を持ちました.
もう一つは,同じころ,一連の事故・不祥事の発生に関わる講演を依頼され,そのなかで何らかの見解を披露してほしいと要請され,少し分析してみたことです.残念なことに,不祥事は局所的ではなく,「えっ,ここも?」と思えるような組織でも発生していました.数々の事案を見るに,そこには共通の特徴があるように思えます.
以下のような事象を思い出します.
動燃問題:1997年3月11日,茨城県東海村にある動力炉・核燃料事業団(動燃)のアスファルト固化処理施設で火災が発生し,37人の作業員が被曝するという日本の原子力開発史上最大の事故がありました.そして同じ日の夜に,同じ場所で大爆発が起きるという前代未聞の複合事故となりました.そればかりか,この事件は動燃の「虚偽報告」という重大事件に発展しました.この事故は,1995年12月に発生した「もんじゅ」事故から時を置かずして起こったこともあり,動燃の安全管理に対する国民の懸念が高まりましたが,事故の経過が明らかになるにつれて,国民の目は,事故の技術的な安全性に加えて,むしろ動燃の組織としての体質にも向けられました.その後も,目を覆うばかりの不祥事が続き,動燃に対してのみならず原子力に対する国民の不信感が高まりました.
横浜市大病院患者取違え事故:1999年1月11日,横浜市大病院で,肺手術と心臓手術の患者を取り違えて手術しました.この手術は自己血の輸血によるもので,非常に危なかったのですが,幸運にも血液型が同じA型で命には別条はありませんでした.直接の原因は看護婦の患者搬送ミスでしたが,手術室への患者受け渡しの際に起きた患者の取り違えが,その後においても見逃され,それぞれ入れ替えられたまま麻酔と手術がされてしまった事故でした.この事件は,その後のわが国における医療の質と安全への取り組み強化の契機になりました.
都立広尾病院消毒液点滴ミス:1999年2月11日,都立広尾病院で,手術終了後の患者に対し抗生剤点滴終了後に,消毒液を血液凝固阻止剤と取り違えて点滴し,死亡する事件が発生しました.遺族が病院責任者らに死亡原因を問うたのですが,曖昧な回答を繰り返したため不信感を募らせ,強く要求したため,病院側は2月22日になってようやく事故を警察に届け出ました.しかし3月16日に報道され,病院側が記者会見した際に「非公表は遺族の意向だった」と虚偽の説明をするなど対応に誠意がなく,遺族の不信感を増大させました.
山陽新幹線トンネル内コンクリート落下事故:1999年6月27日,新大阪発博多行きの「ひかり」が小倉-博多間にある福岡トンネルを走行中,上下線が停電し,トンネル出口付近に50分停車しました.事故現場の架線が破損したほか,9号車の屋根が幅50cm,長さ10mに渡ってめくれ,10号車,12号車のパンタグラフが破損.調査の結果,トンネル天井部にあったコンクリートの一部分(2m×50cm×50cm)が落下し,架線を切断するとともに「ひかり」を直撃したものと判明しました.トンネル内のコンクリートが落下した原因は,施工不良によってできたコールドジョイント(いったん凝固したコンクリートに,さらにコンクリートを流し込むことで起こる現象で,凝固したコンクリートと流し込んだコンクリートの間にできる接合不良箇所)です.事故後,JR西日本は山陽新幹線の全てのトンネルを調査しました.いったんは安全宣言がだされたものの,同年10月9日に同じく小倉-博多間の北九州トンネルで始発前点検を行った際,側壁部から約226kgものコンクリート塊が5つに分かれて落下しているのが発見されました.
JCO臨界事故:1999年9月30日,茨城県那珂郡東海村のJCO東海事業所の「転換試験棟」で臨界事故が起こりました.作業員が,手数を省いて作業の能率を上げるために,スチール・バケツの中で莫大な量の濃厚なウラン溶液をスプーンで混ぜていました.そのために容器内の溶液が臨界に達し,3名の作業員が至近距離から致死量になり得る中性子線を浴び,2名が死亡,1名が重症となったほか,667名の被曝者を出しました.周辺の住民は退避させられ,一時310,000人におよぶ東海地区の住民は屋内にこもって,窓を閉め切って待機するよう勧告されました.
雪印大阪工場食中毒事件:2000年6~7月,近畿地方を中心に,雪印乳業(現:雪印メグミルク)の乳製品による集団食中毒事件が発生しました.この事件は認定者数14,780人の戦後最大の集団食中毒事件となり,社長の石川哲郎が引責辞任に追い込まれました.雪印乳業は場当たり的な対応に終始し,新たな事実は常に行政機関や司直によって明らかにされました.最も有名なのは7月4日の会見で,社長の石川は「黄色人種には牛乳を飲んで具合が悪くなる人間が一定数いる」などの説明を繰り返し,1時間経過後に一方的に会見を打ち切りました.エレベーター付近で寝ずに待っていた記者団にもみくちゃにされながら,記者会見の延長を求める記者に「ではあと10分」と答えたところ「何で時間を限るのですか.時間の問題じゃありませんよ」と記者から詰問され,「そんなこと言ったってねぇ,わたしは寝ていないんだよ!」と発言しました.一方,報道陣からは記者の一部が「こっちだって寝てないですよ! そんなこと言ったら!10ヶ月の子供が病院行ってるんですよ!」と猛反発しました.石川はすぐに謝りましたが,この会話がマスメディアで広く配信されたことから,世論の指弾を浴びることとなりました.その後,「品質体制の強化と企業風土改革」などの様々な施策を打ち出し変革への第一歩を踏み出した2002年1月,今度は,グループの関連会社が牛肉偽装事件を引き起こしました.これらの事件は「食の安全・安心」を根幹から揺るがした社会的問題として,さらに様々な社会的価値観の転換をもたらしました.
三菱ふそうタイヤ脱落事件:2002年1月10日,横浜市瀬谷区で起きた三菱ふそう製大型トラクタのタイヤ脱落事故により,1人の若い女性の命が奪われました.三菱はタイヤが外れた原因をユーザの整備不良と主張してきましたが,一転して設計上のミスによる強度不足を認め国土交通省にリコールを届け出ました.この他にも幾多のリコール隠し事件,それに伴う回収・修理遅れがあり,その後も同様の問題を引き続き引き起こし,その背景には疲弊した企業風土が潜んでいたと指摘されました.本事件をもとに,池井戸潤の「空飛ぶタイヤ」も出版され,2018年には映画も上映されました.認証機関の対応の鈍さや甘さが問題にされたことを覚えている方がいらっしゃるかもしれません.
東電虚偽記載事件:2002年8月に原子力安全・保安院及び東京電力(株)より公表されて明らかになった,東京電力福島第一原子力発電所,同第二原子力発電所,同柏崎刈羽原子力発電所の原子力プラントの自主点検作業における,シュラウドなどの機器のひび割れなどに関する不正な記載問題は,国民に原子力発電に対する不信感を与えることとなりました.その後,福島事故でそれどころではない原子力不信を招きますが,それ以前にも安全への誠実な対応に問題があったことになります.
関西電力美浜3号機の2次系配管損傷:2004年8月,関西電力美浜原子力発電所3号機において,2次系配管損傷事件が発生し,5名の方々が死亡しました.背景に安全文化のほころびがあると指摘されました.当時,この事故調査には私も関わりました.
JR西日本脱線事故:2005年4月,JR西日本の福知山線のカーブでスピードを出し過ぎた電車が脱線した後,マンションに激突し107名が死亡するという大惨事が起きました.背景としてJR西日本の収益第一主義等の組織体質の問題が浮上しました.
飯塚悦功