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TQM/品質管理 こんな誤解をしていませんか? 第5回『顧客満足というけれど,素人である顧客のいうことなんて聞いていられない.こっちはプロだ!』(その2)  (2019-5-27)

2019.05.27

 

前回からのつづきです。 
 
■顧客満足の真意  
 
エイズのコーディネータの舌鋒鋭い質問への回答としては,正直に申し上げて少々苦しいのですが,あんなところでごまかしました.私自身,あんな風に説明しながらも,受け取り側がどんなに愚かでも,裸の王様でも,心変わりが激しくても,それでもその評価を尊重しなければいけないというのは,イマイチ納得できないなぁ,なんて密かに思っていました. 
 
だって,無知蒙昧に由来する無茶な要望,公序良俗に反するニーズなどに応えるのは,それこそ社会正義とは言えません.私は,東大での最終講義で品質について語ったとき,「エロ本とかポルノは品質が良いか」,つまり一部の方が強く望もうと,それを提供することによって大きな満足を与えることができても,それで品質が良いとは言いたくないと申しました.講義後に,言おうとしていることは良いが如何にも例が不適切であると,謹言実直な先生にひと言いやみを言われました……. 
 
ここまでひどくなくても,ニーズの表明をコロコロ変える朝令暮改や,矛盾する要望を平気でまくし立てる方もいますので,「顧客満足」の意味を浅薄にとらえてはいけないとは思っています. 
 
「顧客満足」の思想で重要なことは,とにかく受け取り側がどう思うかということを先に考えるべきだということだと思います.提供側は,その種の製品・サービスについてのプロであり,その判断は正しいことが多いかもしれませんが,所詮は提供側の論理に過ぎないと謙虚に考えるべきです. 
 
そのうえで,提供側が,現実にどのようものを提供するかは,別の問題だと考えてもよいではないでしょうか.顧客の評価が提供側にとって納得のいくものでないというのであれば,提供側の見識をもって,「そうはいってもこちらでしょう」と誘導してもよいのではないでしょうか. 
 
「とりあえずは,お客様がどう思うかを第一に考えることが重要だ」というのが顧客満足の真意であり,その意味でこれは取引における「正義」であると思います.一筋縄ではいかない難しい正義ではありますが. 
 
 
■顧客ニーズの頼りなさ  
 
素人である顧客のニーズを尊重することが正義であるにしても,それが頼りないことに変わりはありません.製品・サービスの提供側としては,どう対応すればよいのでしょうか. 
 
まずは,顧客が表明するニーズが,ときに頼りにならない理由について考えてみます. 
 
第一に想定できることは,何であれ「自分のことは案外分からないものだ」ということです.自分が本当にやりたいこと,なりたいこと,自分の本当の望みが何なのかと問われて,よどみなく答えられる人はそう多くはないと思います.恥ずかしながら私自身もそうです.大きな買物になりますが,車を買おうというときに,そのニーズを明確に述べることはできません.いい加減でよいということなら,「安くて良いものをすぐに」なんて言えますが,その「良いもの」とはどんなものか,と問われるとスラスラとは言えません. 
 
なぜなのでしょうか.何かを感じていることは確かです.でも「うまく表現できない」ということはありそうです.ボキャブラリ不足というもありますが,むしろ全体像を語れないということかもしれません. 
 
それは,その製品・サービスを使う目的や状況がいろいろあって,どの目的・状況について考えればよいのかよいのか分からなかったり,いくつかの目的や状況が考えられるとき,その全体についてきちんと考えられないということかもしれません.そして,いくつかのニーズについてその重要度を明確に言うことができないからかもしれません.そんなことで,ニーズがコロコロ変わってしまったり,矛盾することになるのではないでしょうか. 
 
顧客が表明するニーズが頼りにならない他の原因としては,まさに今回のテーマに含まれる「素人」だから,というのもあると思います. 
 
素人ゆえに,その種の製品・サービスに対するニーズの構造全体を知らないだろうし,異なる側面について言及しているニーズ間の関係,ときに存在するニーズ間の矛盾,使用状況に応じた重要ニーズの相違などの全貌を理解していないから,自分が何を望んでいるのか明確に言えないのだろうと思います. 
 
何よりも大きいのは,ニーズとニーズ充足手段の関係についての理解が十分でないことがあると思います.誤解しないで下さい.これが悪いと言っているのではありません.製品・サービスの利用者というのものは多かれ少なかれそうだと言っているのです.だから,顧客は,現代の技術をもってしては経済的にとても実現できないような法外なニーズを表明したり,あるいは逆に素人考えでできそうにないと勝手に考えて表明しなかったりするのではないでしょうか.
 
私は,ソフトウェア開発において,そのような事例を多く見聞きしました.ニーズのレベルやタイプの変化と,それに応ずるために必要なニーズ充足手段の間には,連続的な関係は成立せず,顧客にとって些細に見えるニーズの増分が,その実現のために桁違いともいえる技術の難しさを必要とすることがあります. 
 
こうしたことを知ってニーズを表明すべきだ,というのが,今回取り上げている誤解に含まれる「こっちはプロだ!」ということなのだと思います. 
 
 
■真の顧客ニーズへの対応  
 
その気持ちはよく分かるのですが,そこで突っぱねてしまっては,本当のプロとは言えないでしょう.この誤解の最後に,素人のときに勝手な言い分を尊重しなければならない立場にある製品・サービスの提供側がとるべき対応について考えてみます. 
 
大原則は,顧客が素人であれ,裸の王様であれ,無知蒙昧の愚者であれ,何であれ,そのニーズに応えるべきであるということです.ここで注意すべきは「そのニーズ」です.顧客が表明したニーズそのものということではありません.顧客の「真のニーズ」ということです. 
 
もし,顧客のニーズが,社会通念に照らして正しいと言えないと判断できるのであれば,これには応えるべきではないでしょう.公序良俗に反するとか,法律で禁止されているとかというほどではなくても,その種の製品・サービスの提供者の見識に照らして,正しいニーズと言えないというのなら,説明し納得してもらい,正しい方向に誘導すべきと思います.納得してもらえないなら,提供する必要はないでしょう. 
 
ニーズとしてはあり得るけれど,実現するのは難しいというとき,製品・サービスの提供側として留意しておきたいのは,顧客からの無茶・無謀に見えるニーズの背景・理由を分析し,適切に対応することの重要さです. 
 
もし,本当に実現が困難であるのなら,その旨を伝えて応えられないと説明し,実現可能な方法によって,もとのニーズに近いニーズに応えるべきです. 
 
さらに,そのニーズが本当なのか,なぜそのようなニーズを表明するのかはその理由を考察すべきです.先週,「苦しい.殺してくれ」という医療での例を挙げましたが,「苦しみを取り除いてほしい」が真のニーズと受けとめるべきです. 
 
このような考察においては,表明されたニーズを満たすときに実現できると想定される上位のニーズが何であるかと考えるがよいでしょう.無理難題に思えても,それが実現できたときの状態をいくつか想定し,それを実現する手段を考察する過程で,新たな価値を創出できる可能性があります. 
 
私はある工作機械メーカの品質管理に関わったことがありますが,速くしてほしい,精度を上げてほしい,自動化してほしい,簡単に制御できるようにしてほしいなどと,いろいろ要求されますが,それによって何をしたいのかを理解することで,真のニーズに応える現実的な製品改善が可能になったことがあります. 
 
真の顧客ニーズを,(頼りにならないかもしれない)顧客の言葉ではなく行動から見抜くというアプローチも重要です.その有名な例は,日本における初めてのストロボ付きカメラおよび自動焦点カメラです.顧客がこの種のカメラの開発を要望したから開発されたというものではありません.いずれも,写真の現像,プリントを行うラボでの観察結果より,顧客の潜在ニーズを発見し製品を開発したものです. 
 
ラボを訪問して,現像・プリントされた写真の出来を調べてみると,露出不足,ピンボケが想像以上に多いことが分かりました.当時,自動露出カメラは多く出回っていましたが,自動であればこそ露出が十分であるかどうか確認せずに,カメラが対応できる露出範囲外でもあまり注意を払わずにシャッターを押してしまうようでした.たとえば,夕方とか,日中室内でそのようなことが多いようでした.一方,とくにスナップ写真などで,チャンスを逃すまいとあわててシャッターを押したり,あるいはファインダー内の構図にとらわれすぎて距離を正確に合わせるのを忘れることが多いようでした. 
 
現在のデジカメより遥かに昔の話ですが,写真の出来から,写真に対する潜在ニーズを特定し,製品開発を行って成功した例です. 
 
次週からの2週は,今回の裏返しのような感じで,顧客の言うことに忠実であることの危うさについて考察します. 

 
 

(飯塚悦功)

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