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TQM/品質管理 こんな誤解をしていませんか? 第4回『顧客満足というけれど,素人である顧客のいうことなんて聞いていられない.こっちはプロだ!』(その1)  (2019-5-20)

2019.05.20

 
■「顧客満足」について考える

 
 

前回2週にわたって,金子先生が「品質」とは何かについて語りました.

 

品質とは「ニーズに関わる対象の特徴・特性の全体像」ということでした.だから,ニーズを満たすための手段としての製品・サービスや,その技術的特性,グレード,価格とは異なるというのが主題でした.

 

高級であるとか,高価であるということが巡り巡って品質が良いことにつながることはあり得ても,そのこと自体が高品質を意味することはないということでした.

 

さらに,ニーズの多様性ということから,マーケットセグメントや品種の異なる製品・サービスの品質を直接比較すること,例えばスポーツカーと軽乗用車,白いYシャツとピンクのYシャツのどちらの品質が良いかというような問は筋が違うということでした.

 

要するに,ニーズを持つのは顧客ですから,品質に関わる最も重要な考え方は「顧客志向」ということです.

 

これに引き続くテーマとして,「顧客満足」に対する2つの誤解,疑問を取り上げます.第一は,「顧客満足というけれど,顧客は素人で何も分かっておらず,そのような頼りにならないニーズを聞いてはいられない.プロとして品質の良いものを提供すべきだ」というものです.第二は,その反対に「顧客満足という原則に従って顧客のいうことを聞いていれば,品質の良い製品・サービスを提供できる」というものです.

 

この2つのテーマについて,それぞれ2週にわたって考察を試みます.ということで,今週と来週は,「素人である顧客のことなんか聞いていられない」を取り上げます.

 
 

■「顧客満足」は正義か?

 

品質論の最初に方には必ずと言ってよいほど「顧客満足」,「顧客志向」の説明がなされます.そして,その思想を基本とする品質中心経営,品質至上主義こそが,財務的にも成功する企業の条件のように言われます.

 

さらに,「品質の良し悪しは顧客が決める,それはとりもなおさず提供側から見れば外的基準でことの良し悪しが決まることを意味する,それはすなわち目的志向の考え方に他ならない」ということで,組織的な目的達成行動において最も重要な「目的志向」の思想を浸透させる有力な方法になる,とも説明されます.

 

私は,品質管理を学んだ最初から,品質とは,顧客(使用者)の満足度(customer satisfaction),使用適合性(fitness for use)であり,品質の良し悪しはお客様の評価で決まり,提供する側の評価で決まるものではないと教えられました.こう説明されて何の疑問も持ちませんでした.こんなことは品質管理の基本,品質論の原点で,私は,それこそ何の疑問もなく「品質とは顧客満足である」と信じてきました.「顧客満足」は正義である,と教えられ,そう信じてきました.でも,それがなぜ正しいのか,正義なのかと問い詰められるという経験をしました.それはある医療従事者との対談のときでした.

対談の相手は,エイズ(HIV)のコーディネータです.当時は,まだ製薬業界が治療薬の開発に血道を上げているときでした.命に関わる病気で,患者は経済的にも社会的にも弱者が多く,国としても医療提供者との通訳兼ソーシャルワーカーを設けて支援の手をさしのべました.その彼女が,雑誌の対談で,私に「なぜ顧客満足なのか」と聞くのです.

 

彼女は「医療において顧客とは患者ですね」と確認します.医療における顧客はいろいろ考えられますが,まずは患者と考えてよいでしょう.患者の家族,代理人,はたまたこれから患者になるかもしれない地域住民も顧客と考えられますが,第一義的な顧客は患者と考えられます.それを踏まえたうえで,彼女は,医療にはすごい情報傾斜があって,そのお客様は医療のことをほとんど知らないけれど,「それでも顧客満足は正しいのか」と聞くのです.

 

ちなみに「情報傾斜」とは,持っている情報に大きな差があるということ,つまり医療について,医療提供側のほうが断然よく知っているということです.医療の素人である患者が,コロコロ気持ちを変えて,ときに大声で勝手なことを言ったりするけれど,どうしてそんな人が満足するようにしなければいけないのかと聞くのです.挙げ句の果てに,彼女は,患者さんの中には「苦しい.殺してくれ」という人がいますが,望み通りに殺してはいけないのですよね,なんて意地悪なことまで聞いてきます.(きっと私はイジメがいがあったのでしょう)

 

良く考えてみれば,情報傾斜があるというのは医療に限りません.通常の製品・サービスのほとんどは,その品質の良し悪しについて,提供側の方が正しく判断できるのではないでしょうか.それでもなお,お客様を尊重しなければならない理由はどこにあるのでしょうか.顧客満足,顧客志向,顧客重視が「正義」である理由は何なのでしょうか.

 

私は最初,顧客満足とは「プロである医療提供側が患者の真のニーズを斟酌すべき」という意味だ,と受け流そうとしました.プロとして,顧客満足と言っていることと,顧客満足に関して心の底で思っていることの違いが分からなければダメだ,とも言いました.顧客満足というのはお客様に迎合することではなく,お客様の言動から「この人はどんなことを望んでいるか」ということを斟酌しなければいけない,なんて逃げを打ちました.

 

その賢い(そして少し意地悪な)エイズのコーディネータは納得しませんでした.それにしてもなぜお客様優先なのか,なぜ正しい判断ができないかもしれないお客様の意見を尊重するのか,と素直に食い下がってきます.私は答えに窮してきました.生放送の対談でなくて助かりました.

 
 

■取引の原則

 

こういうときは,舌鋒鋭い方の頭の中に構築されている論理の鎖を断ち切るしかありません.いきなり拍手をして,どちらの手から音が出たかと聞いたのです.場面がガラッと変わって,「何が始まるの?」と驚きます.それが付け目です.

 

で,禅問答を知っていますか,と聞きました.「双手を打ちて隻手の声を聞く」,二つの手を打って,片方の手の音を聞くという禅問答がある,と言いました.禅問答では公案といいますが,このお題は,物事はすべて1つでは成立しないとか,ものの見方は多面的だとか,いろいろディベートできるのですよと,まずはこちらのペースに引き戻しました.

 

そして,こんな禅問答もあります,と言って「誰もいない森で木が倒れて音がした.それを音がしたといえるか」という公案を持ち出しました.この問答の意味は,たとえ誰もいなくても,絶対的な存在とか絶対的な真実,事実というのがあるという考え方もあれば,誰かに認知,認識されていなければ無きに等しい,意味がないという考え方もある,つまりは絶対的認識論,相対的認識論についてのお題だと説明しました.

 

ドラッカーを読んだ方は,微かに覚えていらっしゃるかもしれません.あの原書800ページにも及ぶ“Management”という大部の本の38章だったか,確か「データと情報」という章の冒頭のつかみに使われていました.この章の趣旨は「情報とは意味のあるデータ(事実)」ということです.脇道に逸れすぎますので,データと情報の話題はこれまでにします.

 

そのうえで,彼女に「品質とは何でしょう?」と問いかけました.品質とは,製品・サービスなどを通した価値の移動があったとき,その価値の良し悪しについての評価と考えられます.顧客満足が正義であるという論拠のミソは「取引」にあると言いました.

 

取引において価値が移動します.取引は,価値の受け取り側が「ウン」と言わなければ成立しません.だから認めてもらわなければ,そして良いと言ってもらわなければ,話が始まりません.品質とはその価値に対する評価ですから,良し悪しはまずは受け取り側が決める,これが顧客満足の原理だ,と説明しました.禅問答との関連で言えば,品質論は,相対的認識論に立っているといえます.品質に絶対的な良さはない,それは相対的に認識されるものだ,ということになります.

 
 

(飯塚悦功)

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