活動報告 超ISOメンバーによるつぶやき 第2弾 第20回 飯塚悦功(その2)
2019.04.08
■頭の良さ
もういまではやめていますが,10年前ぐらいまで,わが家には毎年新年1月3日,卒業生がやってきて,夕方4時ぐらいから深夜まで酒を飲みながら,談笑することが習慣になっていました.いつだったか,卒業生との様々な会話のなかに「頭が良いとはどういうことか」というのがありまして,これがすこぶる興味深いものとなりました.
はじめに「記憶力」話題になりました.確かに記憶力は頭の良さのベースかもしれませんが,そんなことで頭が良いなんてことがあって良いはずがないということで即座に否定されました.こちらはシナプスがプツプツ切れていてどんどん記憶能力が落ちていますので,こんな能力を持ち出してほしくはありませんでした.
次に,いわゆる「頭が切れる」というか,理解力,本質把握力が頭の良さだろうという論が当然のように出てきました.でも,ちょっと面白くありません.要は,この能力は「抽象化能力」であって,ほとんど遺伝で決まっていて,議論してもあまり意味がないと思えたからです.10人ほどの酔った頭での思考ではありましたが,「頭の良くなる方法」を編み出したかったからです.
そこで,「努力して頭が良くなれる」ような頭の良さはないかということになりました.すると,「努力できる能力」そのものが頭の良さではないかということになり,「我慢できる能力」,「オトナ」などの頭の良さが議論されました.確かに,卒業して10年以上経ち,様々な社会経験を積んできて,持ちたい頭の良さに「オトナ」が出てくるのは納得できます.
オトナとは演ずることができる人をいいます.嫌なことでも必要ならそうできるし,抑える必要があるなら自分を抑えることができる人をいいます.確かにこれは頭が良いと思います.「努力できる能力」というのもよいと思いました.世の成功している人は一様に,努力できる能力において一流です.スポーツの分野では,基本的に,この努力できる能力の競争ではないかとも思えるほどです.そりゃあ人並み優れた天才的な能力をもっているようですが,少なくとも努力によって磨きあげたものだろうと思えます.
そして議論は進みます.そもそも,なぜ努力できるのか,なぜ我慢できるのかと考えてみれば,それは目的をよく理解し,目的達成のために何が必要か分かる,つまりは因果関係や目的・手段関係を考えることができて,目的志向の思考・行動ができるからに違いないからだ,となりました.そして,一度は捨てたけれど,やはり本質把握力,抽象化能力は,頭の良さの要素として捨て難いとなりました.また,学習能力もまた頭の良さの現れだろうという話もでてきました.
そのうち,これらの頭の良さに順位を付けようということになり,最高の頭の良さは「目的が分かる能力」ではないかということになりました.次は,やはり因果関係や目的・手段関係を考えるという思考タイプ,その次に本質把握能力ではないか,などと酔った頭でいろいろ議論が進みました.
私は「頭が良い」という表現が好きで,口癖のようです.確かにそうかもしれません.自分がどういう意味で「頭が良い」と言っているのか,きちんと考察したことはありませんでしたが,正月の卒業生との議論を踏まえ,以下のように整理しました.
・ 目的:目的の理解,目的志向の思考・行動
・ 因果:因果関係の考察,目的・手段関係の考察
・ 本質:事象からの本質の把握,現実への本質の適用,一般化・抽象化能力
・ 学習:自他の経験からの学習,教訓獲得,経験の将来の思考・行動への活用,成長,進化
ここまで整理できて,私は,これは品質管理の基本的な思想,方法論そのままではないかと気がついて(密かに)欣喜雀躍したのです.私が品質管理をやってきたおかげで賢くなったと実感するのは,品質管理の思想・方法論に,賢いと言える思考・行動様式が内在されていて,それを知らず知らずのうちに身につけたからに違いないと気づいたのです.
すなわち,品質アプローチのうち,上記の4項目に対応する思想,方法論を挙げてみると次のようになります.
品質概念:顧客志向,目的志向
方法論:因果関係,目的・手段関係
真因:深い分析,一般化,共通要因,水平展開
反省:振り返り,PDCA,改善,深い分析,再発防止,未然防止
■品質概念:目的志向
品質概念とは目的志向の考え方にほかならないと思います.品質には実に深遠なる意味があります.これがデミング賞本賞受賞祝賀会のときの講演の主題でした.
品質とは,「使用者(顧客)の満足度」,「使用適合性」と教えられました.「品質の良し悪しはお客様の評価で決まり,提供する側の評価で決まるものではない」とも教えられました.その根拠はどこにあるのでしょうか.こんなことは品質管理の基本,品質論の原点で,私は何の疑問もなく品質とは顧客満足であると信じてきました.
ところが,医療への品質アプローチに取り組む過程で,ある医療従事者との対談で,なぜ「品質=顧客満足」なのかが話題にされたことがありました.対談における私の発言の一部を以下に引用しておきます.
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飯塚:「患者本位」という価値観は美しいですよね.けれども,なぜ「患者本位」が大切なのでしょうか.技術的に未熟な素人が,なぜ高度な技術に裏打ちされたサービスである医療とその結果について,最終的にそれがいいとか悪いとか言う権利があるのでしょうか.
飯塚:普通の製品だと,気に入らないなら要らないと言えるし,欲しければ高くても買います.だから,売り手は買い手満足できるものを提供するように努力する.しかし,医療はそうじゃない.患者は医療の技術的内容に関してはまったく素人です.だからこそ専門家は,素人である患者の真の要求を斟酌し理解を得て治療を施す義務があります.そうしなければならない責任があります.なぜでしょう.
飯塚:「誰もいない森で木が倒れて音がしました.それを音がしたと言えますか」という禅問答があります.誰かが認知していない限り,存在しないのと同じだということです.どんな「取引」でも,そう医療行為でも,それを誰かに認めてもらわない限り,相手が「良い」と言わない限り,意味がありません.
飯塚:人間の間で取り交わされるあらゆる行為は,相手が良いと認めない限りそれは良いとは言えないのです.
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要するに,品質論とは,相対的認識論に立脚するということです.存在や認識について,誰かがそれを見聞きするかしないかに関係なく絶対的な存在,認識というものがあり得ると考えてもよいですが,経済,取引,品質論においては,相手に認めてもらわなければ存在しないも同然という,相対的な認識論に基礎を置くという意味です.
品質の定義はいろいろありますが,私が好きなのは「ニーズに関わる対象の特徴の全体像」というものです.ISO 9000シリーズの最初の用語規格ISO 8402:1986での定義と本質的に同じです.品質が「考慮の対象についての特性・特徴の全体像」であることに異論はないでしょう.したがって,この定義のポイントは「ニーズに関わる」にあります.ニーズを持つのは顧客ですから,品質概念の中心が,顧客志向,顧客中心であることは,当然のこととなります.
品質がニーズに関わる特徴・特性の全体像と考える基本は,上述したように,品質論が相対的認識を基礎におくことにあります.「ニーズに関わる」という修飾語を受け容れる限り,ニーズを持つ主体,すなわち顧客の意向の影響を受けます.こうして「品質=顧客満足」という,にわかには受け容れたくない,神妙なる思想が品質論の中心になるのです.
品質がニーズに関わる特徴・特性の全体像と考える,その考察の対象はどのようなものでも構いません,製品・サービスでも,システムでも,人でも,プロセスでも,業務でも,どんなものでも結構です,それらの考察の対象に対するニーズに関わる特徴・特性を考えることになります.
考察の対象に対するニーズを考えるとは,価値判断の基準として「外的基準」でものを考えることにほかなりません.自分の基準,内的基準,提供側の価値観ではなく,他人,外部,受け取り側の価値基準で考えることを意味します.
これは,実は「目的志向」の考え方にほかなりません.何らかの活動をする際に,それが誰(顧客)のため,誰(顧客)が良し悪しを判断するのかを考えるとは,自己の基準で良し悪しを考えるのではなく,外的基準である目的に照らして,良し悪しを判断することを意味します.
品質の最重要テーゼである顧客志向とは,あらゆる活動における目的志向の思考・行動様式にほかならず,その意味で品質管理を理解しマスターすると賢くなるのです.
(飯塚悦功)