活動報告 超ISOメンバーによるつぶやき 第2弾 第19回 飯塚悦功(その1)
2019.04.01
「人と組織を“賢く”する品質管理」
「つぶやき第2弾」の中締めを飯塚が務めます.主題は「頭を良くする品質管理」,3回にわたってつぶやきます.品質に関する暗い話題が多い昨今ですが,「品質管理にマジメに取り組むと頭が良くなる」という前向きなテーマで締めたいと思います.
■品質管理40年余
2006年11月,いまから12年余前のこと,私はデミング賞本賞の栄に浴しました.受賞講演は名誉ある責務ですので,それなりに心を込めて行いました.そのときの主題は「初代の心意気」としました.その最後は次の文章で結びました.
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初代の心意気をもって
狩野先生に呼び出されて始まり,久米先生の庇護のもとで多くの機会を与えられ,幸運な出会いの連続の過程で,目前の課題にそれなりに対応してきた,私の品質管理30年でした.
デミング賞本賞の重みに負けずに頑張れと自分を鼓舞し,また今後に対する決意を述べる意味で,私の好きな言葉をひとつご紹介します.それは「初代と二代目」です.これは,ある創業二代目の尊敬する会長に,「あなたは二代目なのに,なぜそんなに素晴らしいのですか」と失礼な質問をしたときのお答えでした.
「親父は100万で苦労し,私は1億で苦労した.自分を二代目と思ったことはない.先生も日本の品質管理の二代目か三代目でしょう.時代が変われば新しいものが必要ですから初代のつもりで頑張ってほしい」と言われたのです.そのとき私は,この言葉を一生忘れない,決して忘れまい,と思いました.
時代は変化し続けます.時代のニーズを的確に感じとり,自らのアイデンティティを認識し,自らの見識を信じ,敢然と先頭を走る勇気を持ち続けたいと思っています.それがこの栄えある賞を受けた者の務めであると考えております.
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そして,年が明けて間もなく,今度は仲間が中心になって受賞祝賀会を開いてくれました.単なる祝賀会ではいけないと思い,御祝いに来て下さる方々を前にして,祝賀会の前に1時間ほどの講演をさせていただきました.あとにも先にも自分から講演をやらせてほしいと希望したのはこの時だけです.
それは30年余の時間をかけて私という人間を作り上げてくれた「品質管理」という思想・方法論に対する,私の心からの感謝の気持ちを表したかったからです.講演のタイトルは,「質について考える~この深遠なる概念に魅せられて~」というものでした.この講演の準備で,あらためて品質管理に出会ったことによって“賢く”なった自分の幸運を再認識しました.
■賢くなった自分を実感する
2007年初頭にしていただいたデミング賞本賞受賞祝賀会のときの講演でどんなことをお話したのか,少しご紹介させて下さい.はじめは型どおりに,受賞理由を引用しながら自分が何をしてきたかをお話ししました.これはまあ落語でいうマクラであって,どうということはありません.
そして,品質管理に心酔していく自分,心酔することによって賢くなったと自覚できるようになった自分を語る導入として,「品質管理のドーナツ化現象」を話題にしました.私が品質管理の分野に本格的に入ったのは1975年ごろでした.品質管理のドーナツ化現象というのは,それより10年以上前の1960年代初頭に言われた「品質ぬきの品質管理」のことを指しているとのことだと教わっていました.1960年代,品質管理の名のもとに行われた管理の焦点,改善の重心が,品質向上・不良低減よりも,コスト低減,生産性向上,納期改善,在庫削減などの,品質以外をテーマにしたものであったとのことです.コストや生産性も意味のあることなのですが,品質管理の中心が品質以外ではいかにもまずかろうという指摘です.
ちょうどそのころ「品質保証」という用語が使われ始めたということも聞きました.品質保証という用語はそれ以前よりあったが,1960年ごろ,品質ぬきの品質管理からの脱却のために,品質管理とは異なる用語を用いて,品質管理における品質への回帰を図ろうという議論があったようです.品質保証とは「品質管理の目的」であるとか,「品質管理の中心」であるとか,はたまた「品質管理の神髄」であるとか,要は,品質管理という手段を品質のために使うように誘導するためでした.
それにしても,この時代の品質管理に,なぜドーナツ化現象が起きたのでしょうか.1950年代に,おもに鉄,重化学のバッチ生産型製造工程における品質の維持,向上の手法として有効に機能し,1960年に入って,それが組立製品の品質の維持・向上にも有力であることを証明してきた品質管理に何が起きたのでしょうか.それは,品質管理の思想・方法論に内在する「管理の原則」が様々な対象にも適用可能だからであるに違いありません.そうかもしれませんが,もっと重要な何かあるのではないかと思います.
私が品質管理を学んだ1970年代初頭,品質管理はすでにどのような管理にでも使える方法論になっていました.それは,品質管理の発展の歴史をみれば明らかです.1950年代は,限られた製造業の,製造工程に適用する管理手法であったはずなのに,その後わずかな時を経て,品質管理は,とんでもない拡大・深化,進化を遂げます.それは,製造業から非製造業(建設,電力,サービス,ソフトウェア,…)へ,製造工程から上流工程(生産準備,設計,企画)へ,製造部門から関連部門(生産技術,設計,営業,事務,……)へ,製品品質から品質,原価,量・納期,……,そして仕事の質へ,製造工程の管理からプロセス一般の管理さらには経営管理へと進化していきました.
なぜ,こんな発展が可能だったのでしょうか.それは,品質管理における管理の概念・原則が様々な対象に適用可能だったからに違いありません.そうかもしれませんが,もっと重要なことがあるのではないかと思えてならないのです.
品質管理分野に本格的に入り込んで約10年,1980年代半ばに,私は,品質管理というのは,どんなときにも,どんな問題にも,どんな課題に取り組むときでも使える方法論ではないかと思うようになっていました.品質管理の共同研究において,それまで明示的に方法論が示されていなかった様々な問題・課題への取組みにおいて,私は私なりの「品質管理のアプローチ」で,難しいとされる問題・課題に対して,まともな問題定義,まともな取り組みができるようになっていたと思います.
例えば,「設計プロセスの構築・改善」,「合理的な検査の設計」,「効果的DRの方法の考察」,「業務システム設計」,「情報システムの構築・改善」などに関わる問題・課題が提示されたとき,それを的確に定義,設定し,解決に向けて何をどう考えればよいのか,路頭に迷うことはないようになっていました.
品質管理とか組織の運営管理とは離れて,いわば個人の問題でも,例えば,「来週の忘年会はどんな趣向にしようかとか」,「来月の研究室が合宿はどこでどんな風にやろうか」とか,「明日○○に会うのだがどうしたものか」と考えるとき,何を考えてよいか分からないということはなく,比較的理路整然とものごとを考えることができるようになっていました.
それもこれも,すべて私が品質管理の思想,方法論の影響を受けてきたからに違いありません.では,品質管理の流儀に染まると,なぜどんな問題・課題に対しても明解に解きほぐすことができるようになるのでしょうか.品質管理は,なぜこんなに適用範囲が広いのでしょうか.それは,品質管理における管理の概念・原則が様々な対象に適用可能だからであるに違いありません.そうかもしれませんが,もっと重要なことがあるのではないかと思えてならないのです.
私は,品質管理をやって,自分は賢くなったという実感があります.この実感は,ことにあたって目的志向で思考・行動できるようになっていること,そして合理的な目的達成のための思考・行動ができるようになったという意味です.
(飯塚悦功)